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2013年9月 1日 (日)

松井秀喜 その野球人生7

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2013年8月5日 朝日新聞


  覚醒


「三冠王は巨人の最後の年だけ、強く意識した。シーズン前から『これは、狙える
んじゃないか』と、ひそかに思った。前年に首位打者をとって、3タイトルを別々な
年に全部とったから。それだけ、打撃に自信を持っていたんだと思う」

長嶋茂雄氏の指導の下、巨人の主軸となって2000年に本塁打と打点王、01年は
首位打者を獲得。フリーエージェント権(FA)を獲得した02年は、三冠王の機が熟
していた。

「打撃は試行錯誤だけれども、確かに02年は良かった。途中から違う視界になっ
た。どんな球でも打てるんじゃないかと思った」

最終的に50本塁打、107打点で2冠に輝いたが、自己最高の打率3割3分4厘を
記録しながら、首位打者は福留孝介(中日、現阪神)に奪われた。そのオフ、
大リーグ挑戦を表明。

「自分でバッティングが良くなったと感じたのは、1999年ぐらい。ボールの見え方
が変わった。同じ球を見ても、感覚的に今まで10コマで見えていたのが、12コマ
ぐらいで見えてくる。それだけ、球を見極め、しっかり自分のスイングで打てるよう
になった。自分のペースで打席に立ち、自分のスイングができる確率が上がった」

96、97年と2年連続して1本差で本塁打王を逃した後、98年に初の本塁打王を獲
得。激しいタイトル争いが覚醒につながった。巨人7年目の99年は打率3割4厘、
自身初の大台となる42本塁打、95打点。

「タイトルは巡り合わせみたいなものがある。本塁打の初タイトルは、96年からの
3年で一番数字が低かった。打撃内容は、逃した2年の方が良かった。ただ最初
は、自分の中で『え?俺でいいの』みたいな感じはあった。年齢的に、まだ20代
前半で大学生と同じ年齢。タイトルへ執念がなかった。でも1度獲得すると、もっと、
もっとと欲が出た」

本塁打の質も変わった。入団当初は外野席に突き刺さるような弾丸ライナーが
多かったが、シーズンを重ねるごとに大きな弧を描くアーチになっていった。

「ガツン!という打ち方ではなくて、ボールを少し運べる感じにはなった。バック
スピンをかけてね」

打者有利のカウントでの勝負も増えた。対戦投手の多くはボールが先行し、苦し
紛れに甘い球を投げてくる。それを、ミスショットせずに仕留めるスタイルが確率
した。

「日本にいるときは、シーズンを追うごとに逃げの投球をされた。逃げの投球の
中、どう打つかというスタイルになったので、自然といいカウントになった。自分
自身は初球から打ちに行っていた。四球を選ぶのは嫌いじゃないけれども、
やはり打ちたい」

打者としての目覚めは、後の大リーグ挑戦の大きな理由の一つとなった。対等
な勝負の世界への渇望だ。一方、野球という団体スポーツにあって、チームの
勝利を優先する思いや姿勢も忘れることがなかった。プロ野球選手となって早い
時期から、そういう場面を何度も経験していた。

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