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2013年9月 2日 (月)

松井秀喜 その野球人生8

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2013年8月6日 朝日新聞


  飛躍


野球選手としての進化の歩みを速めたのが、プロでの3度の日本一だった。初の
頂点は巨人2年目の1994年。緊迫した状況でのプレーは経験となり、体に染み
ついていった。

「最初は先輩の方々に、日本一にさせてもらった感じ。ただ、10・8を戦っての
日本シリーズだったからね。あの試合で本塁打を打てたことは、自信になった。
大勢は決していて、ダメ押し点だったけれど」

94年のペナントレースは勝率で並んだ中日と10月8日の最終戦で対決し、優勝
を決した。ヤゴヤ球場での大一番を、巨人の長嶋茂雄監督は「国民的行事」と
盛り上げた。その5回に右中間へソロ本塁打を放った。

「早いうちにシーズンの全てを経験できたことが、大きかった。プロ野球選手は、
そこを目指してやっているわけだから。どれだけ自分の成績が良くても駄目。
チームが最後まで勝ちきる重要性がわかった」

自分で日本一を奪い取ったと感じたのは、ダイエー・王貞治監督と巨人・長嶋
監督のON対決で沸いた2000年の日本シリーズ。

「初めて、全試合で4番を打てたシーズン。それまで落合さん(博満氏)、キヨ
さん(清原和博氏)とか先輩が打っていた。4番で何試合か出場しても、不振で
代えられたこともあったしね。この年は本塁打と打点の2冠でMVPもとったし日
本一になったことを実感した」

「相手側ベンチに王さんがいることが不思議だったよね。ゲームに入れば別な
んだけれども、やっつけてやろうという気持ちにはなれなかった。やっぱり、
自分は王さんタイプと言われてきたからね。今思えば、足元にもおよばなかっ
たな」

同じ左の強打者で巨人の4番。代名詞となった背番号「55」は王らが持つシー
ズン最多の55本塁打を目指せという意味で、新人時代から背負ってきた。

「55本は本気で目指したけれども、届かなかった。王さんは868本塁打。自分の
507本なんて、足元どころじゃない。13年連続で本塁打王を譲らなかったのも、
本当にすごいこと。直接、効いたことはないけれど、長嶋さんも素振りのとき
は、僕に王さんの姿を重ねていたかもしれない」

三冠王に届かなかった02年もチームは日本一に輝いた。原辰徳監督の1年目。
日本シリーズは西武に4連勝した。

「強いチームだった。負ける気がしなかった。長嶋さんは、圧倒的なカリスマ性
で、引っ張っていくタイプ。原さんは選手への繊細な気遣いが、印象に残って
いる。それが、うまくかみ合った年だった。今や原さんは、監督としても素晴ら
しい実績を残されている」

優勝を争う中でタイトルを狙い、結果を出して自信にした。成長過程で日本一
は欠かせない経験だったが、後悔もあるという。

「長嶋さんを、たった2度しか日本一に出来なかった。99、01年(ともにリーグ
2位)は、優勝できた。とくに、長嶋さんが辞められる01年は、もっと早い時期
に辞められると知っていれば、違う結果になっていたのかもしれない」

数々の打撃タイトルと3度の日本一を手に海を渡り、ワールドシリーズ最優秀
選手にもなった。その栄光の足跡をたどるとき、もう一つ、人々の記憶に刻ま
れている試合がある。あの「5打席連続敬遠」だ。

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