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2013年8月20日 (火)

松井秀喜 その野球人生3

03


2013年8月1日 朝日新聞


  衝撃


「あの打席に入る前は、少しだけ緊張した。ニューヨークのファンは『アジア
から来た強打者のお手並み拝見』みたいな雰囲気だったから。でも、打席
の中では冷静だった。外野フライを打てばいいと思った」

ヤンキース移籍1年目の2003年4月8日。本拠ヤンキースタジアムでは初の
試合で、観客総立ちのなか左打席に立った。5回1死満塁。失投をとらえ、
右中間へ満塁本塁打。ベンチに戻ってもスタンディングオベーションが鳴り
やまない。ベンチを出て、右手をあげ、歓声に応えた。

「あまり好きではない。派手にやりたくないから。大歓声が収まらず、次の
プレーに行けないから、トーリ監督が『やれ』と指示するので、やっていた。
試合中に感情の抑揚をつけたくない。次はなにをすべきか考えるとき、抑
揚があると、思考が妨げられるから」

「意味のあるホームランだった。ニューヨークのファンに対して、いいインパ
クトを与えられた。両親や兄貴も来ていたし、知り合いも何人か来ていた。
ヤンキースでの、キャリアのスタートでもあったから」

1901年創設の球団で、入団1年目のヤンキースタジアム初戦で満塁本塁
打を記録した選手は初めてだ。そんな歴史的快挙の一方、本物の大リーガー
たちに驚かされる日々を送っていた。

「その場にパッと入ったわけだから、03年のメンバーは、みんなオーラを感
じた。クレメンスにバーニー(ウィリアムス)、ペティット、ジェイソン(ジアンビ)。
『すごいな、この人たち』って思っていた」

同じ年齢で親友となるジーターとの出会いもあった。

「何をやっても格好がいい。カリスマ性があるし。これがニューヨークの貴
公子か、って。7年間一緒にプレーして、最後までオーラは消えなかった。
ユニホームを着てグラウンドに出ると、他の選手には無いオーラを放つ。
常に何かをやってくれそうな雰囲気」

打撃では、日本とは違うアプローチを迫られた。衝撃的なデビューの後は
ゴロの凡打が増え、米メディアからは「ゴロキング」と揶揄(やゆ)された。

「ストレートがストレートじゃない。日本のストレートの認識を持ってはいけ
ないと思った。ファストボールというようなとらえ方をして、それがどう動く
のかというボールの待ち方。ストレートは真っすぐなイメージだけれども、
速いボールが変化するイメージ」

バットは力強い球や変化に対応できるよう、芯の周辺の部分が日本時代
より少し太いものに改良した。

「基本的なことは変えていないし、変えようとは思わなかった。ちょっとした
意識を変え、対応しようと思っていた」

「体と逆方向(左翼側)へ強い球を打ち返すことを意識した。そうすれば、
球をとらえるポイントが体の近くになるから、ボールが動くのをぎりぎりま
で見極めて打てるということ」

長時間のフライト、米国内の時差。日本では少なかったナイター翌日の
デーゲーム、決着がつくまで続く延長戦など、疲労のたまり方も違った。

「メジャーに来てから、どう体を休めるかがテーマになった。寝て体力を
戻すことが最優先になった」

順風満帆ではなかった。身長188センチ、体重100キロ超の肉体は、けが
とも戦い続けていた。

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