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2013年8月27日 (火)

松井秀喜 その野球人生5

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2013年8月3日 朝日新聞


  幸運


星稜高(石川)で甲子園に出場し、巨人にドラフト1位指名された。長嶋茂雄監督
と出会い、日本を代表する強打者となり、ヤンキースで世界一も経験した。

「現役生活をやめて、なぜ、これだけの経験が出来たのかという要因を考えても、
説明がつかない。ついているなと思ったのは、人との出会い。いいチームに恵ま
れたと、感じている」

異変は、星稜高での練習初日に起きた。中学時代は軟球だったが、初めて硬球
で打撃練習をした。打球はバックスクリーンを軽々と越えたり、右翼フェンスの上
段ネットも揺らしたり。驚きで、グランド全体が静まりかえった。山下智茂監督(現
名誉監督)と相談して、内野手でプレーすることを決めた。

「あの日に色々な運命や道が決まった。『硬式はエライ飛ぶ』って、自分にではな
く、球に驚いた。元々、投手には興味が無かった。投げることよりも、打つことが
好きだったし、投手の練習であった長距離走が苦手だった。同級生には、県内で
も有名な投手の山口哲治もいたし、もう任せたって。彼がいなかったら、投手も
やっていたかもしれない。野手・松井秀喜が誕生した日。その後の野球人生が
変わった1日だった」

ドラフトで巨人から指名されたのも不思議な巡り合わせ。阪神ファンだったが、入
団に迷いはなかった。

「ドラフトで指名された年に長嶋さんが現場復帰された。自分に興味をもっていた
だき、4球団競合のクジまで引き当ててもらった。入団後は、あれだけ愛情をもら
い、指導していただいた。すごい確率で、色んなことが同時に起きた」

「不思議と、プロ野球選手として指名された気持ちと、それまでのファンの気持ち
が区別できた。縁のあったところに行こうと、心の中はシンプルだった。すぐに
プラス思考になれた。1軍に上がれば家族や田舎の知り合いに応援してもらえる。
当時は毎試合、巨人戦のテレビ中継があったし注目されるチームだから」

そして10年後、大リーグの名門球団にも興味を持たれ、主軸を打てる左翼手と
して入団が決まった。

「ヤンキースは、自分が入団するまでは、左翼手が固定されていなかった。巨人
では中堅だったけれど、中堅にはバーニー・ウィリアムズがいたから。フリーエー
ジェント(FA)権を取得できた年と、ヤンキースのチーム事情が重なった。これも、
運だった」

次々と幸運を手にしながらも、慢心せずに努力を続けた。そこには、実家が教会
という家庭の環境が、大きく影響した。

「自分の祖先に対する感謝の気持ちというのは、常に持ってきた。そういう環境
で育ってきたから。祖父、両親の祈る姿をいつも見てきたし、自分も身について
いった。両親は一切、宗教のことは言わなかった。自分の中で気持ちが自然と
芽生えて、行動になっていったという感じ」

恵まれた体格に、幼い頃から育まれた心の強さ。最高の素材をさらに磨き上げ
たのは、やはり国民的スーパースターである長嶋氏だった。

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