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2013年8月18日 (日)

松井秀喜 その野球人生2

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2013年7月31日 朝日新聞


  栄光


ヤンキースタジアムが総立ちになった。ヤンキースが27度目のワールド
シリーズ制覇を果たした2009年11月4日。人種のるつぼ・ニューヨークを
象徴するように、白人も黒人も、ヒスパニックにアジアンも関係ない。
大歓声に拍手と口笛。「マ・ツ・イ! マ・ツ・イ!」と、その名が何度も
コールされた。

「最初に負けて、最後に勝った。ヤンキース最後のシーズンが、集大成
と言えば、集大成だったのかな。印象という意味では、あの試合が一番。
出来過ぎていた部分もあるけれどもね」

大リーグ1年目の03年以来2度目のワールドシリーズ進出で念願の世界
一。6試合で3本塁打、打率6割1分5厘と活躍し、日本選手では初のシリ
ーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。

フィリーズとの決戦で語り草になりそうなのが、3勝2敗で王手をかけた
第6戦だ。3安打6打点。右腕ペドロ・マルティネスから2回に先制2点本塁
打を運んだ。マルティネスからは第2戦でも、ボール気味の低めの内角球
を右越えの決勝本塁打にしていた。

「2戦目のホームランは偶然の産物。普段あんな球は打たない。ただ体
に近かったし、嫌いな球ではなかった。ペドロも外を狙ったけれど、完全
に制球ミス」

この年のヤンキースは、最近では最強だったと言えるだろう。ジーター、
デーモン、テシェイラ、ロドリゲスと並ぶ豪華なオーダーにあって「5番
・指名打者」が定位置だった。

「あのチームでクリーンアップを打ったということは、自分の中では一番
の誇り。その事実は、うれしいこと。トーリ監督の下でもプレーできたし
、とにかく、いい時代にヤンキースにいられた」

そのオフ、7年間一緒に戦った仲間と、慣れ親しんだニューヨークの街
をパレードした。契約が切れ、ピンストライプのユニホームに別れを告
げた。エンゼルスに移籍した翌年4月、ヤンキース戦の試合前、敵地と
なったヤンキースタジアムで、ワールドシリーズ優勝リングの贈呈式が
あった。「M・V・P!」の大コールのなか、ジーターやロドリゲスらに次々
と抱きつかれ、祝福された。

「印象に残ったのはワールドシリーズだったけれども、感動という意味
では、あのセレモニーが1番ではないかな。ファンの歓声が、すごかった
よ。心に響いたし、泣いてしまいそうになった。みんなが来てくれて、あ
れだけ歓迎してくれたということが、本当にうれしかった」

このMVPだけではない。大リーグでの足跡を振り返ると、ヤンキースの
4番、ワールドシリーズの本塁打、シーズン30本塁打、サヨナラ本塁打
など「日本選手初」は枚挙にいとまがない。

「あんまり、自分が残した結果には興味を感じない。いいプレーをして、
勝つことだけを考えていたから。常にそれを考えたし、目指した。前を
見て日々を過ごした結果、そうなったということだけでしょう」

それでも、メジャーデビューした03年の、あの「初もの」だけは格別だっ
たという。

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